「本当に仕事辞めて来ちゃったんだ・・・」
と彼がポツリとつぶやいた後、タクシーの車内は静寂に包まれた。
2001年2月上旬。私はアエロフロートの格安航空券でモスクワを経由してヒースロー空港に到着した。そこから地下鉄に乗り、ブルガリア人の友人が待つコベントガーデンという駅に大きな荷物と大きな不安を抱えて降り立った。駅近くの設計事務所で友人は夜遅くまで残業しながら、私の到着を待ってくれていた。私たちはこの街のシンボルである背の高く黒いタクシーを停め、乗り込んだ。長旅の疲れと慣れない英語で何を話したかはわからなかったが、彼のこのつぶやきとその後の思いつめたような間(ま)だけは覚えている。一瞬不安になったが、もう後戻りはできない。退路は断たれたのだ。
大学院を卒業し、東京での新人一年目の職場では本当に可愛がってもらった。ほとんど何をやっているかわからないまま図面を描き、面積計算をする日々。朝から終電まで仕事をしていた。それでも密かに個人のコンペは出し続け、ポートフォリオの英語版も作っていた。上司や先輩が退社した後、作業をする。その後、応接室のソファで寝て、皆さんが出社する前に起きても、十分に睡眠時間が取れると計算していた。英語版ポートフォリオといっても当時の自動翻訳サイトの英語をコピーしただけの代物で、建築コンセプトの気取った日本語では正しい英訳は出てこないはずだ。しかし、私の英語力ではそれが正しいかどうかも判断できなかった。
社会人になって初めての年末。契約社員から正社員にしてくれるというタイミングで海外で働きたいという思いを伝えた。そんな私の若気の至りの企てにも「ダメだったら戻ってこい」と上司や先輩は送り出してくれた。それでも都内移動中の駅のホームでたくさんのスーツ姿を見たときには自分が何かとんでもないことを決断したような気になった。もうあちら側に戻れないのではないかという寂しさ、というより恐怖心が芽生えた。
「タワーブリッジって知っているか?」と友人が声をかけてきた。タクシーはライトアップされた構造物の中に入っていった。その時、始めてロンドンのアイコンであるタワーブリッジを渡り、テムズ川を越えた。「これはロンドン橋ではないのか・・・。」その程度の知識しかこの街にはなかった。タクシーの窓越しに見上げた黄金色に光るタワーブリッジは私の到着を出迎えてくれたように見えた。