『私はあなたのお母さんじゃないのよ!』
その日、私は解雇を告げられた。突然の出来事に戸惑い、理由を求めて拙い英語でしつこく食い下がる私に事務所を主宰する女性はそのように声を荒らげた。これで渡英した3ヶ月前の振り出しに戻ることとなった。
ロンドンに到着し、早速就職活動を始めた。友人は市内観光を勧めたが、私は遊びに来たわけじゃない。ヒースロー空港の入国審査で押された観光ビザのスタンプによるタイムリミットは6ヶ月。そして日本の銀行口座から引き出されるお金にだって限りがある。すぐに働き口を見つけなければならない。
ヘッドレターという挨拶文、CVと呼ばれる履歴書、A4に縮小コピーしたコンペ作品群を封筒に入れ小さな事務所を狙って送った。2、3日すると電話で連絡があった。興味があるから、話に来ないか?というようなことを言っていた。何もバックグラウンドのない外国人である私に興味を示したことに驚いたが、それ以上にショックだったのが何を言っているかさっぱりわからない電話口での英語だった。聞き取れない英語を何度も聞き返すうちに、最初に電話してきた早口の女性は、さじを投げ、若い声のアシスタントらしき女性へと受話器を渡した。どうやら事務所への道順を一生懸命説明してくれていたようだった。
冷や汗をかきながら受話器を置いた。電話口での会話にさじを投げられている人材が面接を突破出来るのか? その時点で合否は決まっていたように思えたが、僅かなチャンスも逃すわけには行かない。前日に地図を頼りに事務所の場所を下見しておき、面接の当日を迎えた。
面接ではたくさん応募していたコンペ作品の量で圧倒しようと考えていた。覚えた英文の説明を一気に話す。もちろん質問をされるとボロが出た。あまりにも拙い面接のやり取りに内心あきらめていると「いつから働けるのか?」と尋ねられ、そのまま面接用のスーツ姿でディスプレイに向かって作業を開始した。
試用期間として3ヶ月。まだ労働許可証や英語などの問題は山ほどある。しかし、職を得た。最初の難関はクリアしたことになる。渡英してから二週間も経っていない。給料の交渉などもやった。相場がわからないから適当にもう少しくださいとお願いすると、すんなりその要求額が通った。それでも今思うと非常に安い給料だったと思う。
事務所は主宰者である英国人建築家夫婦とその教え子の若い女性だけの小規模なものだった。レンガ造の古い建物の狭い部屋の中で夫婦喧嘩か、議論かわからないような声を隣で聞きながら私はスクリーンに向かって黙々とCADで線を描いていた。
『ガイコクの交通機関で通勤し、仕事をしている。』そんなフワフワした気持ちで3ヶ月が過ぎ、そろそろ労働許可証についてお願いしようとすると、私は突然解雇を言い渡された。そんな気配にも気付けなかった。やはり、あまりにも使えないと判断されたのだろう。
解雇を告げれると、彼女は王立英国建築家協会(RIBA)が発行する『英国建築家年鑑』を私にくれた。前年度の使い古しだが、そこには英国の登録建築事務所の一覧が掲載されている。これを見て自分で次の働き口ぐらい探せということなのだ。私は途方にくれた。2001年春先の出来事。英国での最初の解雇のこと。